2023年9月9日。熊本市記録会1500mに慶誠高校陸上部の応援を背にスタートラインに立つ選手がそこにいた。
遡ること4年前、顧問の私に当時保護者の工藤さんから1本の電話が来た。1人先生にお願いしたい選手がいます。
私は、はじめおもしろい選手がいるのかと思い、いつものテンションで話を聞いてみた。
工藤:実は、今中学3年生の生徒が南阿蘇中にいるんですが、中学校2年生まで走っていましたが、3年生になって足に悪性腫瘍ができ、摘出手術をする生徒がいます。彼は走るのがとても好きでがんで走るのはあきらめて欲しくないんです。どこかそれをわかった上で預かってくれる学校がないか探しています。との相談。
私は、すぐにこう思った。いいじゃないですか、慶誠の楽しい雰囲気で一緒にゼロから初めて、走れるようになったら最高ですね。そのときは正直軽い気持ちで受けたかもしれない。
それからほどなくして、阪田くんは慶誠高校の門を叩いた。
はじめて会って、挨拶程度の会話をし、術後の経過と傷の状態を見た。阪田くんの腫瘍は「骨肉腫」の一種で右足の膝上を筋肉毎大きく削る手術を行っており、歩くのでも足を引きずっている状態だった。
医者からは「走ることは難しい」と言われていた。私も軽い気持ちで引き受ける物ではないなと感じるほどだった。
1年目はリハビリや通院を繰り返しながら、歩くことに専念し、2年目はゆっくりだが、走ることが出来るようになってきた。簡単に書いたが、ここまで来るのにどれだけの「孤独」と「自分との闘い」があったことだろう。彼にしかわからない葛藤だと思ったので、あえて触れていません。
実は2年生の2月にある熊本城マラソンで走る予定で準備をしていた。ただ、直前になって無理をしたせいで膝に水が溜まってしまい、欠場を余儀なくされてしまった。そこから、月日が流れ。。。
3年生の夏休み、阪田からこんなお願いをされた。
「先生、試合に出たいので日本陸連に登録してください」
私は、ちょっと待って、登録するのはいいけど、熊本城マラソンのような一般の方が走る大会で走れればいいんじゃないの?と本気で言った。だけど、彼から返ってきた返事は「早く走りたい」だった。
いいよ。いつの試合に出たいの?と聞いたところ、1か月後の熊本市記録会で走りたいです。とのことだった。
試合の1週間前から調整を他の部員と一緒に行った。左右の足を同じように動かすことができないので若干手術した足を引きずって走ることから、刺激の前のポイント練習ではスピードを出しすぎて転んでしまった。
前日の刺激では転ばずに走り、400mを70秒を切るスピードで走ることができた。
そして、迎えた2023年9月9日。熊本市記録会。
実は1週間前から阪田の復活レースに向けて、工藤さんに「阪田昂希おかえり」の横断幕を作製してもらいサプライズでみんなで応援しようと計画していた。
1500m2組目。決して早い組ではないが、スタートラインに3年ぶりに阪田昂希の姿があった。
そして、そこに立つために支えてくれた「仲間」が横断幕も掲げてスタンドで大きな声援を送っていた。「昂希~ファイト~」
そして、3年越しのレースがスタートした。
レース中も高校総体同様にみんなで大きな声を出して全体応援をずっとしていた
記録は「5分13秒43」!!5分20秒を切れるように頑張ろうと申し込み、見事目標達成!
私は、記録よりも転ばずにゴールしてくれたこと、仲間が大きな声で応援したくれたこと、それが重なり胸が熱くなった。「よかったね、諦めないで」と心の中で何度も想った。
そして、走り終えて私のところにやってきて彼はこう言った
「楽しかったです」
一度は途絶えてしまった陸上競技の道は、またここから始まる
阪田昂希のランニングタイマーはまた動き出した。
~今回の文を書くにあたって~
※この文章を書くにあたっては、本人・保護者の承諾を得て執筆させていただきました。
※文章の表現・誤字脱字は中村がそれなりに書いただけですので、ご了承ください。
速さ・強さだけを追い求めても陸上競技はつまらない。原点に返って何か感じてほしい。
病気で苦しんでいる人がいたら、このことをここに残して何かの力になってほしい。
そして最後に、指導者として周囲の声でどうしてもいい選手・速い選手を育てようとしがちだが、阪田くんみたいな生徒との出会いが大切なんだと、忘れてはいけない。とここに書かせて、周囲に知っておいてもらいたく、残してます。また、阪田くんだけではなく、慶誠高校に来てくれている部員全員が紹介していませんが、それぞれのエピソード・ストーリーがあります。一人ひとりの活躍が慶誠高校陸上競技部を創り、一人一人が大切な部員なんだということをお伝えして終わります。
文責:中村 大樹
投稿日:2023年09月10日
投稿者:慶誠高校陸上部サイト管理者